Joan Jett/『Pure And Simple』 [CD]
Joan Jett and the Blackhearts として1994年にリリースしたスタジオ・アルバムの『Pure And Simple』で Blackhearts のメンバーはドラムの Thommy Price を除いて一新された。
ギターには Tony Bruno が、ベースには Kenny Aaronson が新たに加わった。Tony は、かつてメタル系バンドの Saraya、Danger Danger でプレイ。Kenny は Billy Idol や Michael Monroe らと活動したことのあるギタリストだった。
『Pure And Simple』のオリジナルのジャケットは日本盤と海外盤で異なり、このジャケットは海外盤のモノ。収録曲も海外盤は12曲だったが、日本盤は7曲目と12曲目に日本盤だけの曲が追加された14曲入りだった。
その追加された『Hostility』はロサンゼルス出身のグランジ系バンド L7 のベーシスト Donita Sparks と Joan の共作。もう1つの『World Of Denial』は新加入のベーシスト Kenny と Joan が共作した曲だった。『Hostility』はアルバムのトーンに合う曲だったが、アメリカではリード・シングルの『Spinster』のアナログ盤でB面に『Go Home』と共に収められていた。
Joan Jett のアルバムではカバー曲が必ずあり、それも聴きどころだったが、この『Pure And Simple』でそのカバー曲は1つもなかった。
全曲で Joan が作曲に関わっていたが、Joan が単独で書いた曲はなく、1990年にアメリカ西海岸のワシントンで結成されたパンク・バンド Bikini Kill の Kathleen Hanna との共作が1曲目の『Go Home』やリード・シングルの『Spinster』など4曲であり、Joan のソロ活動を当初から支えてきた Kenny Laguna と、1980年代に Heart や Bryan Adams に曲を提供してきた Jim Vallance の3人で書いた曲が4曲。
そして、やはり1980年代に Kiss や Bon Jovi、Aerosmith らに曲を書いてきた Desmond Child と Joan が共に書いた『As I Am』など3曲が、このアルバムに収められていた。
アメリカ盤の CD に貼られていたステッカーには「All Rock. No Ballads」と書かれていて、その言葉どおり、テンポのいいロックな曲が『Pure And Simple』には多く並べられていた。
だが、Desmond Child との曲『As I Am』と『Brighter Day』はスローなバラードと言えなくもなく、ステッカーにある文言に忠実であるならば、日本盤に追加された2曲と Desmond Child と書いたスローな2曲を入れ替えると、ステッカーにある文言どおりのアルバムになっただろう。
秀逸なカバー曲は Joan のアルバムでは楽しみの1つだったが、1990年の全曲カバー曲で構成した『The Hit List』を区切りにして、1991年リリースの『Notorious』と、この『Pure And Simple』ではカバー曲が一切なく、全てオリジナル曲だけという構成だった。
しかし『The Hit List』以前のアルバムが常に全米チャートでランクインしてきたのに対し、『Notorious』と『Pure And Simple』の2枚はそれを果たせなかった。『Pure And Simple』にある12曲はシングル・ヒットにこそ恵まれなかったが、小粒でいい曲が揃っていたのにも関わらず、チャートでは結果を残せなかった。
ロックの隠れた名曲のカバーを Joan に期待してしまうが、それがなくとも、いいアルバムを作れることを『Pure And Simple』で実証してみせたが、それがチャートやセールス面で結びつかなかったのは残念だった。
Pure And Simple
Go Home
Eye To Eye
Spinster
Torture
Rubber & Glue
As I Am
Hostility ※:Japanese Bonus Track
Activity Grrrl
Insecure
Wonderin'
Consumed
World Of Denial ※:Japanese Bonus Track
You Got A Problem
Brighter Day
ギターには Tony Bruno が、ベースには Kenny Aaronson が新たに加わった。Tony は、かつてメタル系バンドの Saraya、Danger Danger でプレイ。Kenny は Billy Idol や Michael Monroe らと活動したことのあるギタリストだった。
『Pure And Simple』のオリジナルのジャケットは日本盤と海外盤で異なり、このジャケットは海外盤のモノ。収録曲も海外盤は12曲だったが、日本盤は7曲目と12曲目に日本盤だけの曲が追加された14曲入りだった。
その追加された『Hostility』はロサンゼルス出身のグランジ系バンド L7 のベーシスト Donita Sparks と Joan の共作。もう1つの『World Of Denial』は新加入のベーシスト Kenny と Joan が共作した曲だった。『Hostility』はアルバムのトーンに合う曲だったが、アメリカではリード・シングルの『Spinster』のアナログ盤でB面に『Go Home』と共に収められていた。
Joan Jett のアルバムではカバー曲が必ずあり、それも聴きどころだったが、この『Pure And Simple』でそのカバー曲は1つもなかった。
全曲で Joan が作曲に関わっていたが、Joan が単独で書いた曲はなく、1990年にアメリカ西海岸のワシントンで結成されたパンク・バンド Bikini Kill の Kathleen Hanna との共作が1曲目の『Go Home』やリード・シングルの『Spinster』など4曲であり、Joan のソロ活動を当初から支えてきた Kenny Laguna と、1980年代に Heart や Bryan Adams に曲を提供してきた Jim Vallance の3人で書いた曲が4曲。
そして、やはり1980年代に Kiss や Bon Jovi、Aerosmith らに曲を書いてきた Desmond Child と Joan が共に書いた『As I Am』など3曲が、このアルバムに収められていた。
アメリカ盤の CD に貼られていたステッカーには「All Rock. No Ballads」と書かれていて、その言葉どおり、テンポのいいロックな曲が『Pure And Simple』には多く並べられていた。
だが、Desmond Child との曲『As I Am』と『Brighter Day』はスローなバラードと言えなくもなく、ステッカーにある文言に忠実であるならば、日本盤に追加された2曲と Desmond Child と書いたスローな2曲を入れ替えると、ステッカーにある文言どおりのアルバムになっただろう。
秀逸なカバー曲は Joan のアルバムでは楽しみの1つだったが、1990年の全曲カバー曲で構成した『The Hit List』を区切りにして、1991年リリースの『Notorious』と、この『Pure And Simple』ではカバー曲が一切なく、全てオリジナル曲だけという構成だった。
しかし『The Hit List』以前のアルバムが常に全米チャートでランクインしてきたのに対し、『Notorious』と『Pure And Simple』の2枚はそれを果たせなかった。『Pure And Simple』にある12曲はシングル・ヒットにこそ恵まれなかったが、小粒でいい曲が揃っていたのにも関わらず、チャートでは結果を残せなかった。
ロックの隠れた名曲のカバーを Joan に期待してしまうが、それがなくとも、いいアルバムを作れることを『Pure And Simple』で実証してみせたが、それがチャートやセールス面で結びつかなかったのは残念だった。
Pure And Simple
Go Home
Eye To Eye
Spinster
Torture
Rubber & Glue
As I Am
Hostility ※:Japanese Bonus Track
Activity Grrrl
Insecure
Wonderin'
Consumed
World Of Denial ※:Japanese Bonus Track
You Got A Problem
Brighter Day
2012-08-20 12:48
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