Tin Machine/『Tin Machine』 [CD]
1980年代の David Bowie は『Scary Monsters』で幕を開け、『Let's Dance』でまた1つのピークを迎えたが、その後の勢いは下降線の一途を辿り、1980年代の最後にリリースしたアルバムは David Bowie としてではなく Tin Machine というバンド名を冠したセルフ・タイトルのアルバムだった。
Tin Machine のメンバーは Bowie もレコーディングに参加した Iggy Pop の1977年のアルバム『Lust For Life』でベースを弾いていた Tony とドラムを叩いていた Hunt の Sales 兄弟と、Reeves Gabrels というこの頃はまだ無名のギタリストの4人編成で、正式なメンバーではなかったが Kevin Armstrong というギタリストも参加していた。
Tin Machine のデビュー盤のジャケットに写る4人はリリース当時、LP と CD で並び順が違っていたが、Kevin Armstrong はその両方にも写っていなかった。その Kevin Armstrong だが、1980年代には Thomas Dolby の『She Blinded Me With Science』にギターで参加したり、1985年に Bowie と Mick Jagger がデュエットした『Dancing In The Street』や Bowie の出演した映画『Labyrinth』や『Absolute Beginners』に提供した曲にも参加していた。
Reeves Gabrels は『Tin Machine』以降の Bowie のアルバムに関わることが多くなり、1993年の『Black Tie White Noise』と1995年の『Outside』ではライターとして、1997年の『Earthling』と1999年の『'hours...'』ではプロデューサーとしもその名前があった。
1980年代の Bowie のアルバムは1987年の『Never Let Me Down』が最後で、その後にリリースされたアルバムが突然のバンドとしての『Tin Machine』だったので、またもや Bowie なりの変化がやってきたという当惑があった。その後、過去の曲は一切プレイしないという宣言もあって、Bowie はこの Tin Machine でこの先の活動を続けるのかという不安もあった。
『Tin Machine』というデビュー盤がリリースされた当時、このアルバムにある曲はそれまでの1980年代の Bowie のアルバムと全く異なるハードなバンド・サウンドで、Bowie の立ち位置もバンドの中のボーカリストであって、Bowie が単独でライターにある曲はアルバムの約1/3の5曲だけだった。
タイトル曲と『Prisoner Of Love』は Sales 兄弟と Gabrels、Bowie の4人がライターにあり、Sales 兄弟と Bowie の3人での曲は『Video Crime』と『Sacrifice Yourself』の2曲。『I Can't Read』を含む3曲は Bowie と Gabrels のふたりがクレジットされた曲と、バンドとしての活動により重きを置いていることがライターの表記からも感じとれた。
このデビュー盤は全米チャートで最高28位とそれほど奮わなかったが、全英チャートでは最高3位をマークしてゴールド・ディスクに認定された。ロックな『Under The God』が1stシングルとしてカットされ、この曲でのハードなギター・ソロと Bowie の荒々しいボーカルは1980年代後半の停滞を吹き飛ばすようで、Tin Machine は順調なスタートをきったようにも思えた。
だが、Tin Machine としての活動は1991年に2ndアルバムを、1992年にライブ盤をリリースして終了。1993年に Bowie は再びソロ名義で『Black Tie White Noise』をリリースし、全英アルバム・チャートでは1984年の『Tonigt』以来の No.1 も記録した。
短命に終わった Tin Machine の活動だが、このバンドとしての活動で Reeves Gabrels というその後の Bowie の活動で重要な位置を占める人材を発掘したので、そのことだけでも Tin Machine の活動に意義はあったのかもしれない。
Tin Machine
Heaven's In Here
Tin Machine
Prisoner Of Love
Crack City
I Can't Read
Under The God
Amazing
Working Class Hero
Bus Stop
Pretty Thing
Video Crime
Run
Sacrifice Yourself
Baby Can Dance
Tin Machine のメンバーは Bowie もレコーディングに参加した Iggy Pop の1977年のアルバム『Lust For Life』でベースを弾いていた Tony とドラムを叩いていた Hunt の Sales 兄弟と、Reeves Gabrels というこの頃はまだ無名のギタリストの4人編成で、正式なメンバーではなかったが Kevin Armstrong というギタリストも参加していた。
Tin Machine のデビュー盤のジャケットに写る4人はリリース当時、LP と CD で並び順が違っていたが、Kevin Armstrong はその両方にも写っていなかった。その Kevin Armstrong だが、1980年代には Thomas Dolby の『She Blinded Me With Science』にギターで参加したり、1985年に Bowie と Mick Jagger がデュエットした『Dancing In The Street』や Bowie の出演した映画『Labyrinth』や『Absolute Beginners』に提供した曲にも参加していた。
Reeves Gabrels は『Tin Machine』以降の Bowie のアルバムに関わることが多くなり、1993年の『Black Tie White Noise』と1995年の『Outside』ではライターとして、1997年の『Earthling』と1999年の『'hours...'』ではプロデューサーとしもその名前があった。
1980年代の Bowie のアルバムは1987年の『Never Let Me Down』が最後で、その後にリリースされたアルバムが突然のバンドとしての『Tin Machine』だったので、またもや Bowie なりの変化がやってきたという当惑があった。その後、過去の曲は一切プレイしないという宣言もあって、Bowie はこの Tin Machine でこの先の活動を続けるのかという不安もあった。
『Tin Machine』というデビュー盤がリリースされた当時、このアルバムにある曲はそれまでの1980年代の Bowie のアルバムと全く異なるハードなバンド・サウンドで、Bowie の立ち位置もバンドの中のボーカリストであって、Bowie が単独でライターにある曲はアルバムの約1/3の5曲だけだった。
タイトル曲と『Prisoner Of Love』は Sales 兄弟と Gabrels、Bowie の4人がライターにあり、Sales 兄弟と Bowie の3人での曲は『Video Crime』と『Sacrifice Yourself』の2曲。『I Can't Read』を含む3曲は Bowie と Gabrels のふたりがクレジットされた曲と、バンドとしての活動により重きを置いていることがライターの表記からも感じとれた。
このデビュー盤は全米チャートで最高28位とそれほど奮わなかったが、全英チャートでは最高3位をマークしてゴールド・ディスクに認定された。ロックな『Under The God』が1stシングルとしてカットされ、この曲でのハードなギター・ソロと Bowie の荒々しいボーカルは1980年代後半の停滞を吹き飛ばすようで、Tin Machine は順調なスタートをきったようにも思えた。
だが、Tin Machine としての活動は1991年に2ndアルバムを、1992年にライブ盤をリリースして終了。1993年に Bowie は再びソロ名義で『Black Tie White Noise』をリリースし、全英アルバム・チャートでは1984年の『Tonigt』以来の No.1 も記録した。
短命に終わった Tin Machine の活動だが、このバンドとしての活動で Reeves Gabrels というその後の Bowie の活動で重要な位置を占める人材を発掘したので、そのことだけでも Tin Machine の活動に意義はあったのかもしれない。
Tin Machine
Heaven's In Here
Tin Machine
Prisoner Of Love
Crack City
I Can't Read
Under The God
Amazing
Working Class Hero
Bus Stop
Pretty Thing
Video Crime
Run
Sacrifice Yourself
Baby Can Dance
2011-08-30 14:17
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